曲の解説
 曲の解説をいたします。解説をするのは佐藤自身で、かなり主観(ジコチュー)的に書くことをご理解ください。この「展覧会の絵」は、細かくわけると、16曲になりますが、曲と曲が続いていた方がいいと思われるところはつなげました。CDのトラックは8つになりましたので、解説もトラック番号(文中では重複しています)にしたがって書きます。
トラック1.「プロムナード」〜「グノーム」

 プロムナードはあまりにも有名なフレーズですが、初めから途中まで、4分の5拍子と4分の6拍子が交互に連続していると知っている人はかなり少ないと思います。拍を指折り数えるとそれがわかります。これから美術館の各展示室に入っていくわけですが、古い、由緒あるヨーロッパの建物の、あの静かで重みのある雰囲気が伝わります。と、いきなり現れるのが、「こびと」です。レコードや楽譜の解説などでは、妖精のようなもの、とする説が多いようですが、実際はロシアの子供なら誰でも知っている民話に登場する愛らしい妖精でのようです。実際、ガルトマンの絵は子供のおもちゃのデッサンだったといわれているので、おもちゃになるくらいの物なら、ポピュラーなものに違いないからです。それならば、わざわざ「こびと」と訳さなくても、後出の「ビィドロ」のように原題通り、「グノーム」で良いのではないかと思います。曲の雰囲気はおどろおどろしく、妖精というより妖怪のようです。演奏の仕方も、プロムナードの後に間髪入れず続けるものと、一息間を置くものがあるようです。私は前者が好きです。「こびと」は譜面にはない、間(ま)をとって演奏する場面が多いのが特徴的です。間の取り方で雰囲気が変わります。一番最後の4小節、フルパワーで、一気に弾きあげるところが高音と低音が左右に離れていく臨場感もともなって、実に気持ちいいです。



トラック2.「プロムナード」〜「古い城」

 「展覧会の絵」の中にプロムナードは5回あります。それぞれ似ていますが、すべて違います。この2番目のプロムナードは、終わったばかりの「こびと」で若干興奮した気持ちを押さえるように穏やかに進行します。実際、このプロムナードが終わるころには気持ちも落ち着いて次の「古い城」をむかえることができます。「古い城」の特徴はなんといっても左手が奏でる単調なG♯の音の繰り返しです。最後の方で一旦途切れる以外は、ずっと続きます。あたかもこのお城が、ずっとこのまま未来まで姿を変えずに存在し続けるかのようです。右手のパートは、このお城で過去におこったであろういろいろな物語を回顧するかのごとく叙述的に展開します。実際、もとになったといわれている、民話をもとにしたオペラ「ルスランとユドミーラ」のためのデッサンには、古い城にたたずむ吟遊詩人が詠っている影が描かれています。 今でもどこかでこのお城はひっそりと静かにたたずんでいる。そんな様子が目に浮かびます。



トラック3.「プロムナード」〜「チュイルリーの庭」

 気を取り直したような元気のよいプロムナードは、場面、展示室が変わったことをはっきりと教えてくれます。チュイルリーとは、パリの今のルーブル美術館の隣にあるチュイルリー公園です。ガルトマンが留学中にそこで遊ぶ子供たちを描写した絵を曲にしたものだそうです。最近この曲を聴くと、新婚旅行の時、パリに着いてすぐノートルダム寺院に向かいましたが、そのわきの保育園のようなところで、子供たちが砂場で遊んでいたことが重なるようになりました。そしてその思い出も、子供たちのにぎやかな声がいつか夢のように弾けて消えてしまうように、曲の終わりとともに、フッと視界から消えていきます。



トラック4.「ビィドロ」

「ビィドロ」とは、ポーランド語で牛、または牛が牽く荷車のことだそうですが、そう解釈すると、それが通り過ぎる瞬間を見事に描写していると思えてしまいます。牛車の重々しく力強い様と通り過ぎてゆく遠近感の表現は見事です。しかし、この曲に関してムソルグスキーは「ビィドロとは、牛ということにしておこう」というコメントを残しています。実は、ビィドロとは牛という意味の他に「家畜のように虐げられた人々」という意味があるそうです。遺作展の時に牛の絵があったと伝えられていないので、もしかしたらこの曲はポーランドの反乱において弾圧を受けている民衆を描いた絵をモチーフにしているのかもしれません。ポーランド反乱軍を支持するような動きは当時のロシアではもちろんタブーだったでしょうから、ムソルグスキーも直接表現するわけにはいかなかったのかもしれません。それが本当だとすると、この曲は友人の追悼という意味を超えて、社会的プロテストソングともいえます。そう思うと、この曲に隠れていたもの悲しさや怒り、主張といったものが少しずつ見えてくるような気がします。一説にこの曲だけはムソルグスキーの肖像画を描いた画家レーピンの「ヴォルガの舟曳き」をモチーフとしているとも言われています。どちらの説も納得のいくような、重厚で社会的メッセージを持った一曲と言えそうです。



トラック5.「プロムナード」〜「卵のからをつけたひなの踊り」

 プロムナードの終わりに、ちょちょっと顔を出したかと思うと、ひなが元気よく走り回ります。タイトルの、「卵のからをつけたひなの踊り」とは、当時流行したバレエの舞台衣裳のデッサンがモチーフとなりました。タイトルが、「ひな」ではなく、「踊り」となっていることはまさに踊りの動きそのものを描写したものだと言えるでしょう。日本においてムソルグスキーはこの「展覧会の絵」や「禿山の一夜」で有名ですが、他の多くの作品に見られるようにオペラやバレエのような舞台の音楽をやりたかったのではないでしょうか。そんなムソルグスキーらしさがうかがえるこの曲にあわせて舞台で踊る姿を想像するのはそんなに難しくなさそうです。バレエ版展覧会の絵があったら見てみたいです。



トラック6.「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミイレ」

 冒頭のフレーズは、TVCMに使われるなどして、かなり有名です。実際、我が家でも家族が、失敗してしまった時や悪い事をしてしまった時のBGMとして口ずさんでいます。その使われ方は、♪チャラリー、鼻から牛乳〜でなじみのあるバッハの「トッカータとフーガ」の冒頭と似ています。このフレーズ、2人のユダヤ人の、金持ちの方が貧乏の方に向かって威圧的にものを言っているという説があります。そのあとに、貧乏の方が、高い声で腰砕けぎみに反論しますが、その言葉も終わらないうちに金持ちが力にものをいわせてねじ伏せてしまうというのです。権力に差がありながら、言い争いができる関係なのでしょうか。でも、この曲のもとになった絵は2枚で、彼ら2人が、別々に描かれたものなのです。もちろん彼らは絵の中では口論などしていません。ムソルグスキーの豊かな想像力で言い争いをさせたのでしょうか。当時のロシアは、ユダヤ人を迫害していました。はじめは豊かだったかもしれないサミュエルに代表されるユダヤ人も、農奴解放令発令後は権力と財力を失い、没落し、命さえ危なくなっていたはずです。そんな様子を知っているムソルグスキーが描く曲が、単なる口論の描写だけで済むはずがないような気がしています。



トラック7.「プロムナード〜リモージュの市場」

 私個人としては、前の曲「サミュエル・ゴールデンベルクとシュミイレ」で一区切りでいざ後半へ、という感じがしています。このプロムナードは、一番初めのプロムナードに似て堂々としていて、ここからまた始めますよという感じです。ここからが後半、という感じでしょうか。別に無理に区切る必要はありませんが、LPレコードで育った世代としては、この「展覧会の絵」に限らず、知らないうちに、前後半、A面B面という感覚で聴いてしまっていたところがあります。ともあれ、このプロムナードで仕切り直しが終わってリフレッシュできました。今度は市場でおしゃべりと買い物をするおばさんたちです。なかにはけんかをしているおばさんも原画には見受けられているようです。スタッカートで、早口でやりあい、一気に休みなくおしゃべりをしている様子をうまく表現していると思います。さて、買い物もあるからもう終わりにしなくちゃというところで、また同じフレーズが出てきて、終わりそうで終わらないおばさんのおしゃべりはいつまでつづくのやら・・その激しさはどんどん増していき、やがて頂点にのぼりつめます。音を打ち込むにあたって、リモージュの広場は、あれっ、この音?と思うところが多くてチェックは厳しくやったつもりです。何回も聴きなおして確認しました。(それでももし誤りがあったら教えてください。)特に、スタッカートになっているのとなっていないのがまばらで、こんな難しいの、(シンセだからできるけど)ライブでどうやって弾き分けるんだ!?って思っています。


トラック7.「カタコンブ 」

 市場のすごい喧騒のあと、いきなりどうして「カタコンブ」なのか、たまたまとなりに絵が並んでいたのか、と思いますが、やはり作為的にこうしたとしか思えません。曲は別ですが、あきらかにつながっています。早から遅へ。高から低へ。騒から静へ。明から暗へ。まるでオペラのワンシーンのように、一瞬にして場面転換をします。カタコンブとは、ローマ時代の地下墓地だそうですが、なるほど暗い洞窟内の光や音が反射しているような感じの曲です。原画には、パリの地下墓地に向かうガルトマン自身も描かれています。ここへきて改めてこの「展覧会の絵」が追悼の曲であることを思い出してみましょう。この組曲にはたくさんの曲で構成されていますが、どれもが、親友ガルトマンへの強い哀悼の気持ちが込められています。なかでも、モチーフがお墓であるこの曲は、その思い入れが強かったのではないかと思います。実際に地下墓地を見たことはない日本人である私には、現実感を感じ取るのは難しいのですが、それより、30小節のほとんどを全音符で演奏するこの曲の間、自分なりに空想にふけった方が楽しい気がします。ほとんどが短調ですが、途中で長調の明るい光がさします。私個人は、ロンドンのセントポール寺院の階下にある墓室を思い出してしまいます。


トラック7.「死せる言葉による死者への話しかけ」

「死せる言葉による死者への話しかけ」は、「カタコンブ」の後半として扱われたりするなど、一般的にはあまり目立った取り上げられ方をしていません。私もこの解説をするにあたって、書くのが一番最後になってしまいました。なんといっても、まず、絵がありません。でも、タイトルは(副題のようについていますが)ちゃんとあります。これはなぜなのでしょう?そして 「死せる言葉」とは?
 絵がなくて「死者への話しかけ」とある以上、これはムソルグスキーのガルトマンへの話かけと受けとるのが自然かと思います。右手はずっとユニゾンのトレモロで、左手はプロムナードのメロディーに似た感じで暗く静かに進行します。まさに地下墓地に入っていったムソルグスキーがガルトマンに話しかけている瞬間なのでしょうか。こちらも途中で長調の明るい光がかすかにさし、そのまま穏やかな感じで終わります。まるでガルトマンの魂が救われ、天に昇っていく様子を描いているかのようです。



トラック8.「ババ・ヤーガの小屋」

 この「展覧会の絵」が広く世に出たのは、皮肉にもムソルグスキーの死後の1900年頃ですが、そのころ、もし、「ロック」という言葉があったなら、この「展覧会の絵」は新しいジャンル「ロック」としてヒットしたかもしれないなどと考えています。聴けば聴くほど、いわゆる「クラシック」との距離を感じていました。特に、このピアノ・ソロという手法は当然ですが現在のロックミュージシャンも取り入れているくらいなので、仮に「展覧会の絵」をロックと位置づけてから聴いたとしても違和感は少ないと思います。
 その「ロック・展覧会の絵」(!?)の中でも最もロックっぽいのが、この「ババ・ヤーガの小屋」ではないかと思っています。ロックに必要な要素は、「ノリ」あるいは「グルーヴ」と「魂」だと思いますが、それらがこの曲にはあふれていると思います。そのあたりのことをかのEL&Pが感じたかどうかはわかりませんが、ロックに編曲することは、それほど無理のある仕事ではなかったのではないかと推測しています。(ちなみにEL&Pの演奏も「ババ・ヤーガの小屋」に限らずかなりいいので、まだお聴きになってない方はぜひお聴きになられることをお勧めします。)
 また、そういったことと関係があるかどうかはわかりませんが、この「展覧会の絵」がピアノ曲で良かったなあと思っています。たった1台のピアノで、これほど多様で多大なる内容を美しくダイナミックに表現している曲は他にないのではないか、また同時にピアノという楽器が本来持っている能力や特徴を十二分に引き出しているのではないかと思っているからです。
 さて、「ババ・ヤーガの小屋」ですが、原画は伝説上の妖怪ババ・ヤーガの小屋をモチーフにした置き時計のデザインだったようです。(タイトルを「鶏の足の上の小屋」とする場合もあります。)絵から受けた印象というよりは彼が生まれ育ったロシアの民話や伝説なども含めて総合的に表現したという感じがしています。それよりもこの曲は説明がいらないくらい、いい作品に仕上がっています。とにかく「ノリ」で聴いていただきたい1曲です。「展覧会の絵」の初めのプロムナードからずっと聴いてきて、感動もいよいよ最高潮に達してきました。いよいよ「キエフの大きな門」にたどり着きます。


トラック8.「キエフの大きな門」

「キエフの大きな門」または「キエフの門」とよばれるこの曲は、キエフ市に再建される予定だった門のデッサンに基づいています。まさに、建築家ガルトマンの代表作になるはずだった門です。しかし彼はその完成はおろか着工の瞬間も見ずに死んでしまいました。親友だったムソルグスキーにとってもこんなに残念なことはなかったはずです。2人は共に芸術の大きな夢を見ながら、それでいてなかなか認められないという共通点があったそうです。親友がかなえられなかった大きな夢をムソルグスキーが曲の中で作り上げた、そんな感じのする超大作です。ガルトマンの絵に表現されている通り、大きくて重量感があり、美しく、しかも人々が集うような華やかさもそなえているりっぱな門です。力強い大きな音と落ち着いたハーモニーが連続交互に現れ、ダイナミックな展開です。後半には3連符の和音が連続し、アルペジオでプロムナードのメロディーがでてくるなど、まさにこの大作のエンディングにふさわしいつくりになっています。暗い世の中にあって、明日を信じて生きた2人の信念と友情が見事に形となった、そんな「キエフの大きな門」です。



「あとがき」

 「死んだガルトマンの創造精神が私の頭蓋骨に訴えている。やがて頭蓋骨は静かに輝きはじめる。」と、自筆の楽譜に書き残したムソルグスキーは、たった3週間でこの「展覧会の絵」を書き上げたそうです。憑かれていた、という人もいるようですが、その原動力は、親友ガルトマンに対する熱い友情だったことは明らかです。ムソルグスキーの音楽的な才能には恐れ入りますが、彼も1人の人間なら、われわれと変わらない感情を持っていたわけです。才能を別にして、自分だったら1人の親友のためにこんなことをできるだろうか?と考えてしまいます。不幸にもムソルグスキーは42才で死んでしまいましたが、その決して長いとは言えない生涯の中で、すばらしい友と出会い、友情をあたためあい、そしてすばらしい作品を残しました。多くの芸術家がそうであったように、彼もまた存命中は評価されませんでした。しかしそんな彼の残した作品は、今も生き続け、私たちの頭蓋骨に訴えています。


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