「會津への道」によせて(1995年)


 伊藤さんの住んでいる西那須野町から私の住んでいる会津若松市までは距離約100kmです。車で約2時間、国道(400号〜121,118号)のみを通って来ることができます。それに対してこのたび歩いた旧会津中街道を通ると3泊4日で、国道・私道・町道・村道・農道・林道・私道・畑道・畦道・獣道・登山道など、いろいろな道を歩くことになります。ある時は、民家の庭先までも歩きました。このように、その時代は主要道であったものが、300年の未来には、社会の変化にともない、様々な姿を見せています。この、変化に富んだ道を一度に踏破することは非常に興味深いもので、実行前の期待や楽しみをはるかに上回るものでした。しかし、それをいざ実行するとなると、けっこう苦労をともないました。
 まず、旧街道が実際どこを通っていたのか明らかになっておらず、ルートを確定するのに苦心します。ルートを定めても、そこが高速道路や橋や畑や人家になっていたりして、どうしても通れない場合があるのです。もしかしたらこっちではと、道なき道に突っ込んで歩いたルートを地図で確認すると、最短距離を結んだ線に重なり、確信を深めた所もありました。
 次に、歩いてみてはじめてわかる肉体的苦痛が問題です。前述の通り、道はさまざまな変化に富んでいる上に、県境の登山道となっている峠を越えなくてはならないので、足にかかる負担は相当なものです。荷物を背負うのがいやになります。履物の選定を誤ると、足腰に支障をきたし、途中断念という事態も余儀なくされます。2回目に歩いた時は、体力に自信が持てず、伊藤さんに迷惑がかからないように歩くことだけを考えていました。1回目の反省から、2回目はまず靴をよく吟味しました。さらに、水筒を小さなペットボトルに変更したり、使用済の衣服を途中で処分または預かってもらったりして徹底した荷物の軽量化を図りました。おかげで無事に歩き通すことができました。
 もちろん伊藤さんも同様、無事に歩き通したわけですが、彼の装備は私と全く違っていました。彼は泊まり歩くために必要な荷物の他に、スチルカメラ2台とビデオカメラ1台、さらにそれらに附随するアクセサリーなどをすべて持ち歩いていました。それらの機材を用いて、彼はずっと映像を撮り続けていました。好みのアングルで撮るために、一度来た道を引き返すことなどはしょっちゅうでした。ゆえに彼は重い荷物で行程以上の距離を歩いたことになります。やはり、疲れも相当だったようですが、彼は弱音を吐くようなこともなく、会津をめざして歩いてきました。その反面、そんな彼の荷物を少しでももってあげようとせず、軽いリュックでわれ先へと黙々と歩いてしまっている私の後ろ姿が、彼の作品の中に、そうとは見えない美しさと渋さを兼ね備えて写っています。
 伊藤さんと知り合ってはや10年、彼からはいろんな場面でいろんなことを学びました。私ももっとがんばらなくてはと勇気づけられます。彼の、ものごとにたいする情熱と真摯な態度は人の心をうち、彼を注目させずにはおきません。そんな伊藤さんと2回もこんな大旅行ができたことは私にとって生涯におけるビッグイベントの1つであり、1つの勲章のように誇らしくさえ思います。今、毎日の生活で道路を通る時、この道の向こうには山あり谷あり峠ありのあの道がずっとつながって見えてきます。そしてそれは、西那須野I.Cの伊藤さんの家につながっていきます。伊藤さんのご家族をはじめ、栃木県のご友人の方々にはたいへんお世話になりました。そしてまた、道々われわれのために宿をお貸し下さった方々、資料をお貸しくださったり、ご助言をくださった方々にあわせて感謝致します。最後に、この旅に出ることを快諾してくれた我が両親と細君に感謝致します。皆様本当にありがとうございました。
もどる伊藤のコメント「會津への道」