會津への道(1995年)


11年前のある日の夕方、私は自宅から遠くない町道をクルマで走行中、奇妙な石標を見つけて止まりました。それは幅のせまい農道の脇にあり、高さ60cm位の石には「会津中街道」と刻まれてありました。 なぜ、ここに「会津」と名のつく街道があるのか?何処から来て何処へ行ったのか?当時の私には知る由もなく、興味もなく、周囲に尋ねても、その存在を知る人はだれもいませんでした。
 その後しばらくして、幕末・明治期の歴史に興味をもった私は、自然に会津の歴史に興味をもつなかで、「会津中街道」という道が存在したことを知りました。それは、自然災害によって交通不能になった「会津西街道」の代替に、元禄8年(1695年)、会津藩が既存の道に手を加えて建設した街道で、若松から小塩・桑原・弥五島より、松川・野際を経て大峠を越え、三斗小屋・板室・百村・高林・横林と続き、山田・乙畑より氏家町を流れる鬼怒川の阿久津河岸まで31里10町52間、約123kmに及ぶものでした。会津からは廻米の他、煙草・豆・炭・漆器・下駄等が、また江戸方面からは塩・魚・砂糖・油等が運ばれたとされます。
 その後しばらく「会津通い」をする中で、友人もでき若松の街全体の雰囲気がわかるようになると、「会津中街道」という道もあったのだから、一度歩いてみたらどうだろうと考えました。そして自宅のある西那須野から4泊5日をかけ、会津若松への徒歩旅行を計画し、西栄町の佐藤文良さん、大田原市の熊田正和さん、途中から石部恵子さん(現在は 私と結婚して伊藤恵子)と共に実行したのは7年前の初夏のことでした。この時、正確な道がよく判らないので宿場と宿場を結ぶ有効な道を通り、塩生からは会津西街道に入り、大内・本郷を通って無事若松にいたりました。
 そして昨年会津中街道が開削されてから、来年で丁度300年になることを気にしていた私は、もう一度自宅のある西那須野から若松までの「会津中街道の面影」を辿りたく思い、再び佐藤文良さんを誘い、3泊4日の徒歩旅行を企てました。
 出発は8月28日。自宅より、今に残る街道を検証しながら板室に宿泊。2日目山中に入り、三斗小屋に宿泊。3日目大峠(標高1468m)を越え、沢入の佐藤省辰氏(佐藤さんのおじさん)宅に宿を借り、4日目夕刻、無事若松大町四ツ角に到着しました。非常に暑い4日間でした。
 夕立は毎日ありましたが、降り込まれることもなくその日の宿に到着できました。なお、那須山中では例年になく熊の多い年で、ハンターが入ってるとのことでしたが、熊と間違われてうたれることもなく、蜂に刺されることもなく若松にたどり着けました。
 実をいうと私は歩く事に自信がなく、まして登山の経験もあまりありません。自宅から見える那須岳の、その向こうへ、ここから歩いていくなどあまり一般的な事ではありません。
 だがしかし、この一本の細道が北へのびていくところ、かつて、若松とひとすじの道で結ばれた街道として、様々な時代背景のもと、人々や馬・物資の往来があり、日常の生活があったと思うと、これはやはり自分の足でたどってみたいと考えました。
 現在「会津中街道」と聞いて、すぐ理解できる人は少ないと思います。実際に、この農道やあの林道が街道であった事を知る人は(郷土史研究家は別として)、街道沿いに住む一部の人が知るのみで、しかもそれが何処へ続いて何処へ行くのか、を知る人はもっと少数になると思います。
 例えば西那須野を見るだけでも、開拓によってその殆どは消失してしまい、わずかな雑木林の中に踏み固められた道跡を認めたり、土地の境界の一部、あるいは農道の一部に形を残すのみで、現状はバラバラに寸断されています。
 7年前街道を歩いて以来、せめて自宅周辺だけでも正確な街道の位置を知りたく思い、2万5千分の1の地図に街道予想路線を引き、休日や仕事の合間に妻と2人で、寸断された街道跡を推測検証していく作業は、人間往来の歴史現場を見つけるようで感慨深いものでした。その結果、自宅をかすめるように街道が北東に伸びている事が判りました。
 ですから、私が街道の正確な路線についてある程度話ができるのは、私の日常行動範囲である南は野崎あたりから、北は板室一里塚あたりまでです。そこから北の、杉の沢に至る正確な街道跡は、断片的に知る程度なので、その後の今回歩いたルートは、宿場と宿場を最短距離で結び、便宜上現在の道路を歩きました。もちろん街道と重なっている所もありますが、いつか正確な全路線を確認する事が私の念願です。したがって今回の写真展は、私の思い入れを写したもので、学術・研究的なものではありません。
 佐藤文良さんは、会津高校・福島大学時代ボート部で活躍され、その健脚でよく私を「ひっぱって」くれました。私はひたむきに歩く「その旅人」を追い、その思い込みだけで撮り歩きました。佐藤さん自身、いつ撮られたのかほとんど判らなかったと思います。
 開削300年を迎えた会津中街道の面影と西那須野からたどってきた私たち2人の情熱がこの写真展で伝われば・・・と思います。

もどる佐藤のコメント「會津への道」によせて