矢板 やいた


矢板市付近の会津中街道
(破線は予想)
 南の乙畑や北の山田を含む現在の矢板市は文化財の宝庫で、古代から近代までの歴史遺産が各地に残されています。そのような歴史的地域を会津中街道は南北に縦走しています。

 ただし、現在の市街地は通らず、西側を迂回する形で通っていました。山田は東よりなので、南の川崎方面とつながるために、会津中街道は現在の市街地の北北西に位置する下太田地区でほぼ直角に折れています。(地図上部参照)この下太田地区の問屋であった旧家は、長屋門など、りっぱなつくりの建物を今に残しています。

 矢板においては、現在の市街地の西側の田園地帯で、東西に走る日光北街道(現国道461号と並走)と交わっていたようです。そのあたりの当時の面影は全くなく、道標がありますが、もとの場所ではなく、土地改良の記念碑とともにカントリーエレベーター(地図中手書きのC)北東角に移されて立っています。「右 日光」「左 江戸」と彫ってありますので、北から来た者に対しての道標だったようですが、十字路ではなくY字路のような表示になっています。そこで白石さんに資料を探していただいたら、ありました!(地図点滅箇所参照)交差点は十字路ではなく、ダブルY字路だった(点滅地図中手書きの)ことが古い地図に残されていました。これで間違いないなら、道標は南側のY字路に立っていたはずです。地図は、道路や川を参考にして重ねてみましたが、これが正確なら、その場所も推測できます。カントリーエレベーター敷地の南端のもうちょっと南寄り、東側道路沿い付近と思われます。

 この交差点の南の川崎に通じる会津中街道は、河川の多い湿地帯を通っていました。おすてさんが身を投げたという言い伝えの残る「おすて淵」を迂回するように道が残っていたようです。現在は田も河川も整備され、「おすて淵」の痕跡も全く見当たりません。

交差点はダブルY字路だった! 「右 日光」「左 江戸」






山田

矢板

川崎