三斗小屋 さんどごや



現在の三斗小屋宿跡




























 会津中街道の宿場として作られた集落だったので、当初より三斗小屋宿という名前で呼ばれていたと思われます。白湯山に近いことから、修験道参りや湯治客を集め、戸数は一時24軒も数えたそうです。しかしながら戊辰戦争での激戦地となり、全戸が消失してしまいました。復興したものの、その頃には他の街道や鉄道が整備され、三斗小屋宿を訪れる人は激減しました。明治末期にも大火によって全焼し、再復興後も、戸数は減り、昭和32年(1957年)に最後の一戸が転出し、三斗小屋宿は終焉を迎えました。現在は石仏と灯籠、そして「栃木県那須郡高林尋常高等小学北校板室分教場三斗小屋仮教場跡」と書かれた学校の跡地を示す木柱が残っています。

三斗小屋宿と白湯山・那須連山との位置関係


白湯山の方向に、倒壊した石の鳥居が散在していました。また、崖下の苦土川に笠木が落ちていたりするなど、荒れた状態はかなりの長期にわたっておりました。2007年の夏、北那須ライオンズクラブが大鳥居を復元し、9月23日に白湯山神社大鳥居復元竣工式が行われました。
三斗小屋宿白湯山神社大鳥居復元竣工式




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