「陸上交通」


 インド、ネパール、スリランカの陸上交通は日本のものとおおよそのところは同じですが交通機関を利用してみると、相違点がたくさんあることに気がつきます。中には日本の常識では考えられないこともあるので、慣れるまでは驚きや戸惑いを隠せません。実際私もかなりショックを受けました。あらゆる種類の乗り物を見ることができたことと、本来交通の場であるはずの駅や路上に生活している人々がいたことが、南アジアと日本の大きな違いであると思います。

道路

 都市部はほとんどが舗装されているので快適に走行できますが、村に行くと未舗装がほとんどでした。都市や村を結ぶ幹線道路はその中央部の一車線分が舗装されています。つまり、通常一車線の道路を走るように走ります。対向車とすれ違う時のみ、両車輌は路肩に左側の車輪をはみださせて(左側通行だから)走ります。路肩は砂や土の状態なので、その時だけものすごい砂塵が舞い上がります。
 交差点には都市の一部をのぞいては信号機はなく、右回りのロータリーになっていることが多いです。小さな交差点は、手前に道路が凸状にもりあがった部分が設けられてあるので、進入前に必ず減速しなければならない仕組みになっています。

 とにかく自分勝手な運転をするドライバーと予測のできない歩行をする人間と動物が混在しているので、必ずしも良いとはいえない状況の路上では事故も少なくないようです。制限速度もあるかないかわからない状態でしたし、四輪車のほとんどはスリップサインが出始めたタイヤを使用していたようなので、いつ事故に遭遇してもおかしくない状況でした。山道にはガードレールもないし、道路を走行することは常に死と隣り合わせであることを肝に命じなければなりませんでした。

バス

 陸上交通においては最もポピュラーな交通手段です。なんといっても料金が安いのが魅力です。市内なら、10円もあれば足りていたし、300キロに8時間乗った長距離バスは約300円ですみました。バスにもいろいろ種類がありますが、国営市営の大形バスから小型ワゴン車のプライベートバスまで、定員通りに乗るということは珍しいくらいいつも混んでいます。ある時、11人乗りの日本製ワゴン車に40人が乗っていました。私もそのうちの1人でした。よく数えられたものです。
 いくら混んでいても車掌(必ず男。運転手も男。)は客を募ります。停留所ごとに徐行し、行き先を大声で告げます。
「モラトゥワ!モラトゥワ!パナドゥラ!パナドゥラ!バンバラピディヤ!バンバラピディヤ!」今でも車掌の声が脳裏で蘇ります。
 バスターミナルで、運転手のいないバスに乗って待っていると、走り出すまで誰が運転手なのか全くわかりません。制服を着ていないどころか破けたシャツにサロン(腰巻き)だったりします。そのうえはだしでペダルを操作する時もありました。それでも運転技術は確かなようでした。

 バス自体は新しいものはお目にかかりませんでした。また、車体に損傷があってもそのまま運行しています。車内に内張りがなかったり、シートの一部がフレームだけだったり、窓ガラスにヒビが入っている程度では、修理の対象外なのでしょうか。
 中には窓ガラスがはじめから全くないタイプのバスもありました。降雨時にジヤバラのスクリーンを下ろせるようになっていました。それをすると車内は暗くなり、外が見えなくなってしまいます。目的地の地名がわからない時にその状態になり、おりる場所が見えなくて困ったことがありました。

 近距離バスに乗る時は、手を腰ぐらいの高さにあげてバスを停め、車掌に行き先を告げてOKならそのまま乗ります。そこが停留所でなくてもたいていは乗せてくれます。乗り込んだら料金を車掌に支払いますが、その前にすぐに自分の体を固定しなければなりません。運転手がすぐ急アクセルで発進するからです。それを忘れて、子供を抱いた母親の上にしりもちをついてしまったことがありました。また降りる時も、さっさとバスと離れてしまわないとこの急発進の犠牲になることがあります。停まるのはほんの一瞬で、その瞬間にちょっと遅れた私はバスに引っ張られて路肩に転がってしまったことがあります。危ないところでした。

 長距離バスに乗る時は始発のバスターミナルに早めに行くのがベストです。もちろん座席確保のためです。前日までに予約ができる時はかならずすべきです。たいていの場合混み合うので、シートに座れずに長時間立っているのは非常につらいのです。離れた街に行くのに4,5時間かかるなどという行程はざらにあり、シートに座っていてもお尻が痛くなるほどだから立ったままバスの中で過ごすと疲労困憊してしまい、目的地に着いてから何もやりたくなくなってしまいます。その上立った姿勢では、車窓の風景が路傍だけになってしまうので、視覚的精神的にも耐え難い時間を過ごさなければなりません。

 バスだけでなく、乗客をウォッチングするのもバス旅行の楽しみの1つです。200から300%のラッシュの中、誰も文句もいわずに乗っています。本当は聞こえないだけで文句をいっているかもしれませんが。混雑のゆえだとは思いますが、他の乗客に席を譲るということはほとんどなく、老人だって立って乗っていました。しかし子供を抱いた婦人はよく席を譲ってもらっていました。
 熱風と塵、振動と騒音の中、人々はバスに乗っています。運転席のドアがなかろうが、座席に背もたれがなかろうが、タイヤのワイヤーが露出していようが、人々はバスに乗っていました。

 マドラスからティルチラパッリまで7時間半のバスに乗りました。途中、夫婦とその娘の3人家族が乗ってきました。その時すでに空席はありませんでした。母親は娘のために中央の通路に一枚の布をしいてやり、彼女を寝かせました。しばらくして今度は母親も娘に添うようにして寝そべりました。この家族の身なりはみすぼらしく、あまり清潔な感じを受けませんでしたが、見ているこちらが暖かくなるような好印象を受けました。この娘にとってこの母親はとてもいい母親で、夫婦仲もよく、幸せな家族なのだろうと思いました。

 スリランカでは、全く反対の母子を見ました。ある停留所で停まったら、なかなか発車しませんでした。発車の時車掌は、運転席の近くに着いているベルを、それにつながっている紐を後ろの乗降口からひいて「チン!」と鳴らします。この時はこの「チン!」がなかなか鳴りませんでした。車掌がベルを鳴らさなかったのは後ろの乗降口で母子がもめていたからでした。すでにバスに乗った母親は、路上に残っている娘に何か言っていました。シンハラ語なので、内容はわかりませんでしたが、娘の方は、「アンマー!アンマー!(お母さん!)」と叫んで泣いていました。少しして、突然母親がバスを降り、いきなり娘をメチャメチャにひっぱたきました。母親がバスに戻ると、バスはゆっくりと走り出しました。娘は泣叫びながらバスを追いかけてきました。母親は乗降口から娘に追い返すような口調で何か怒鳴っていました。娘の声がようやく聞こえなくなった頃、バスはフルスピードで走りました。この日は私がスリランカを発つ日で、エアポートに行くため、まずコロンボに向かっていた途中の出来事でした。スリランカ滞在中の約1ヶ月のうち、1日中雨だったのはこの日が初めてでした。断続的に降る雨と、珍しく冷えきった空気は、この母子の別れをいっそうドラマチックにしていました。私の2つ前に座った母親は、時々窓を開けてつばを吐きながら、窓ガラスに頭をあずけて眠るようにしていました。

 カトマンズからインドとの国境の街ビルガンジまでは、エクスプレスバスでも8時間の道のりでした。前半の4時間は未舗装ワインディングロードで最悪のコンディションでした。エクスプレスバスはエアコンはついていませんでしたが窓はあり、きれいで快適でした。停留所も少なく、先行車があれば必ず追いこしてビュンビュン飛ばして走ります。ラフロードにおいては、走行する時、他車の前になるか後になるかで天と地ほどの違いがありました。高地といってもかなり暑いネパールでは、当然バスの窓は開けて走ります。その窓から、先行車が巻き上げる砂塵が車内に入ってきます。この時はエクスプレスバスでよかったですが、追いこされる方の普通路線バスの方は気の毒でした。一年で一番暑いこの時期、満員の乗客でひしめき合っている窓の開いたバスに、私の乗ったバスが巻き上げる砂塵が容赦なく降りかかっていくシーンを何度も見てしまうことになりました。
 始発のカトマンズ中央郵便局前を出発して2時間半くらい経った頃、突然、右側の列の窓際に座っていた男の人が大きく窓を開けて頭だけでなく肩まで外に突き出しました。彼が何をやり始めたのかその後すぐ理解させられました。彼の座席は運転手の2つ後ろ、わりと前の方でした。彼が頭を出した窓から後ろの窓にかけて白い飛沫が飛び散りました。後席の乗客が一斉に窓を閉めました。彼が、目一杯身を乗り出したのは後ろの乗客への配慮だったのでしょうが、結局迷惑をかけてしまいました。私は左側の席でラッキーだったと思いました。しばらくすると窓も乾き、後ろの窓も開けられましたが、男が2回目をもよおして、また窓に同じことが起こりました。でもその後はさすがに彼も落ち着いたようでした。
 やれやれと思った直後、今度は彼の2つ後ろの女の人が窓を開けて身を乗り出しました。あとはさきほどと同じでした。日本製のこのバスは、とりわけ窓が大きめにできていましたが、その窓いっぱいに白い模様が広がっていました。現地の人とて車に酔うし、その対応や処理の仕方にもお国柄があるのだなあと思いました。
 私はこの様子を冷静に観察することができていました。そして彼らの様子を見てなぜか、私は酔わない、と確信できました。長距離バスで私が一番恐れていたものはまさに車酔いであり、実はこの時もすこしムカムカしていたのですが、不思議と今回は大丈夫と思えたのでした。気の毒にもお昼の休憩までくり返していた彼らとは逆に、このバスに乗っていた間だけでなく、その後の旅行中全く車酔いをしなかったのはもしかしたら彼らのおかげだったかもしれないと感謝しています。

鉄道

 ネパールに鉄道はなかったし、スリランカではただの1回しか乗らなかったので、ここではインドについてだけ述べます。

 インドは鉄道王国とよばれるほど鉄道が発達しています。ですから広大なインドを移動する時はこの鉄道を利用しない手はありません。また、外国人旅行者用に便利なフリー切符「インドレイルパス」が用意されており、当時日本で購入できました。私は寝台も利用できる一等車のレイルパスを購入していったので、とても快適な鉄道旅行を味わうことができました。一等車の切符は、地元の人にとってはかなり高価なので、窓口で長蛇の列に並ばずに購入できるという利点があります。まずこれだけでも全然違います。レイルパスをもっている者は指定席の予約だけをすればOKです。予約をすると、その列車のボディと始発ホームの掲示板にシートナンバーと氏名、性別、年齢までもがタイプされた紙が貼り出されます。ご丁寧に現地語と英語の2種類あります。もし予約がてきなかったとしても、空席があれば直接ホームで車掌にたのめば大丈夫でした。また、2等車なら予約なしで乗り放題でした。

 移動はかなりの長距離になることが多いので、寝台車を利用することになります。よく利用したのは1等チアーカーとよばれる車輌でした。向かい合った3人がけのベンチシートが1つのコンパートメントをつくっています。そのベンチの上部には片側が固定されて吊るされているベッドがあります。したがってこのコンパートメントの定員は、昼は6人で夜は4人ということになります。下の席は広くて居心地が良く、車窓の景色を満喫できます。しかし、寝台を利用しない昼だけの客や指定席券を持たないのにちゃっかり居候している客が乗っているのでシートを好きに使うというわけにはいきません。一方、上のシートは、少しせまくて外の景色も楽しめませんが、横になって体を休めたい時にはたいへんありがたいです。また、本を読んだり日記をつけたりする時にちょっかいを出すのが大好きなインド人乗客から身を隠すことができました。しかしこの場所はなぜか小さなゴキブリのすみかとなっているエアコンの真下で非常に寒くなってしまうのが玉に傷でした。

 移動中の食事は、車掌が注文を取り届けてくれました。下膳もしてくれました。実費で100円程度でしたが、チップを要求されたこともありました。メニューはベジタリアンとノン・ベジタリアンの2種類しかないのですぐ飽きました。カルカッタからマドラスまで36時間を乗った時のディナーのチキンカレーはたいそうおいしいものでしたがそれ以外は不味くて薄いパサパサパンしか覚えていません。

 駅に停車するとジュースやスナック、フルーツなどを買い求めるためにホームに出ます。外は猛暑ですがエアコンで冷えた体には気持の良いものでした。といってもわずかな時間だけですけれど。降りたホームを少し歩いたところでふと隣の2等車を見ました。インドでは驚くべきことがたくさんあり、ある程度慣れてきたころでしたが、驚かずにはいられませんでした。とにかく車輌に人がびっしり詰まっていたのです。2等車にはエアコンがないので鉄格子の入った窓はすべて開いていましたがどの窓を見ても人、人、人でした。以前TVで見た「電話ボックスに何人入れるか」を思い出しました。乗降口に座っている人から上段の席に猿のように縮こまっている人までとにかく顔が連続していました。一度外へ出たら戻れそうにありませんでした。いや奥の人は外にどうやって出るのでしょうか。
 立ち止まってそんなことを考えてふと我に帰ると、見ていた先のやや暗い空間から逆に私を見つめるインド人たちの目、目、目。ここで、この状況を強く心に焼きつけて、彼らにこのような思いをさせているインドの社会状況について思案をしたいともチラッと思いましたが、私は自分はラッキーだったと素直に思って手短かに買い物を済ませて広くて涼しい1等車に戻りました。
 1等車の環境は余裕たっぷりですが、利用している乗客にも余裕があるので、同席した者同志、楽しく会話もはずみます。本当に快適な空間であるといえます。しかし鍵のかかったドア一枚隔てたすぐ隣の車輌には、同じインドなのにこれほど違うのかというような、両者をしてインドの縮図といわしめんばかりの世界がありました。



 インドの鉄道は、レールの幅が異なった路線が混在しています。したがって、乗り換えする時はまた別の駅に移動しなくてはならないこともあります。
 駅を利用しているのは乗客だけではありませんでした。なんと住んでいる人々がいました。ある晩、1番ホームの端の方に目をやると、なんと一家揃って夕食の準備中でした。しっかりと煮炊きをしていました。待ち時間に余裕があればちょっとよばれてみたかったです。

タクシー

 日本と同じタイプの四輪タクシーは、なぜかターパン頭のシーク教徒のドライバーが多いです。彼らは他に、銀行員や宝石商などの信用を重んじる職についていることが多いと聞きました。一見こわそうなターバン男と気軽に話すことができるのはこのタクシーの空間のいいところです。ネパールとスリランカでは見かけませんでしたが、インドには他に3輪のタクシーがあります。このタクシーにはリキシャと呼ばれる人力のものと、オートリキシャと呼ばれるバイクに幌をつけて発展させたような原動機付きのものとがあります。リキシャの語源は日本の人力車だそうですが、実際カルカッタで人力車を見かけました。

 さてリキシャですが、それを運転するリキシャマンがクセ者で、インドのハエのようにうるさい存在でした。駅やバスターミナルから街のいたるところで執拗に声をかけてきました。客引きです。彼らにとって外国人観光客ほどおいしい獲物はいないのでしょう。中には日本語を話す者がいるほど彼らは外国人慣れしていました。彼らは客を見つけると、まず同業者との客の獲得合戦を始めます。その場では提示額の一番低い者が客をゲットしますが、その瞬間からこちらがそのリキシャマンとの勝負を始めなくてはなりません。なぜならリキシャマンはたいていの場合こちらの希望通りには動いてくれないからです。

 ヴァーラナスィーでリキシャマンにAホテルまでお願いしたところ、着いたところはホテルではなく彼の姉が経営するサリー屋でした。そこで買え、買え、といわれ、こっちが買わないとなんで買わないんだと急に不機嫌になりました。さっきまでにこにこ親切だったのに表情が暗くなりました。時間ももったいないので仕方なく小物を1つ買って出発しました。やれやれやっとホテルに行ける、と思ったのは甘かったです。着いたホテルは別のホテルでした。彼がリベートをもらえるホテルなのでしょう。Aホテルを予約していたわけではなかったので、一応ホテルのマネージャーに話を聞いて、いい条件を出してもらい、そのホテルに泊まることにしました。
 そのホテルに決めた理由は、もうリキシャマンという連中とつきあいたくなかったからです。言葉が通じないわけではないのに彼らはあたかも嘘をつくのが当然といったような行動をとります。運賃だって約束通りの請求をしない場合がほとんどでした。目的地について、約束通りの請求額を差し出すと、「足りない」と言い張ります。彼らにはいささか失礼ですが、こちらにとっては大金でないということもあってついつい折れてしまいます。何度も利用しましたが、約束通りやってくれたのはたった2回でした。もうリキシャに乗るのがおっくうで、多少遠くても歩いて移動したこともありました。彼らがそういう行動をとるのはそれなりの理由があるのかもしれませんが、毎度毎度では悔しいものです。

二輪車

 自転車はここ南アジアでも庶民の足になっていました。一見したところ、車種はあまり多くなく、黒くて子供が三角乗りをするようなひし形のフレームを持つものばかりでした。この自転車はサドルの前のバーが邪魔になって子供や婦人には乗りづらそうなのですが、このバーの上に横座りして2人乗りする時に非常に役に立つのです。この乗り方は私も体験しましたが、思ったよりもバランスが良く快適でした。

 バイクはベスパ、ヤマハ、カワサキなどの輸入車がほとんどでした。1人で乗っているのを見かけるのはまれで、ほとんど2人以上で乗っています。1番多い例で5人乗りのベスパを見ました。父親が長男を前に立たせて運転し、次男を間に挟んで乗った母親の背中に長女がおぶさっていてました。曲芸のようなこの乗り方、スクーター1台で一家5人が移動できる非常に経済的な移動の仕方だと思いました。

 バイクではヘルメットもかぶらなくてはならないこともないし、歩道も走るし、乗車定員も無視されていました。危険この上ないですが、自由に二輪車に乗ることの楽しさを満喫できると思いました。

その他

 普通乗用車は日本などからの輸入車が目立っていたので日本と大きく異なるという印象は受けませんでしたが、あえて相違点をあげればその乗り方であり、バスなどと同様に磨耗したタイヤの上に定員オーバーで運行するということでした。
 これまで述べてきた交通機関の他に珍しいものとしては馬車や大八車、観光用のゾウのタクシーがありました。