「太陽と雨」
インドは暑い国―という印象が私にはありました。しかしインドはその広さゆえにさまざまな気候をもっています。最初に訪れたデリーは、ただ暑いというだけでなく空気が乾燥していました。気候帯ではステップ気候に属するようです。
デリーやタージ・マハルで有名なアグラなどの都市を周遊する間、私はほとんど汗をかきませんでした。日中は大変な暑さになるので喉が渇き、生フルーツジュースや清涼飲料水ついつい飲んでしまうのですが、それでも汗が流れることはありませんでした。実際汗をかいてもすぐに蒸発してしまっていたのでしょうか。
このような気候は、私にとっては実に快適でした。しかし、この気候のために不快きわまりないこともありました。
それは埃でした。都市周辺ではどこへいっても埃や塵が舞っていました。その埃は、ほとんどは土や砂でしょうが、他のものもまじっている気がしてなりませんでした。
まず第一に、インド人が捨てるゴミです。彼らはゴミをどこへでも平気で捨てまくります。バナナの皮、サモサを包んでいた新聞紙、素焼きのチャイカップなどは、用が済んだ次の瞬間にはもう路上のゴミとなっています。
次に、町にいる野良牛、野良山羊、野良犬、そして人が残していった汚物があります。埃や塵になりやすいのはこちらの方でしょう。特に人は手ばなをかむし、ツバやパーン(噛み煙草の一種)のカスを吐き出すので、見た目も汚い感じがします。それら汚物が細かい粒子となって大量に空気中に存在していたのはおそらく間違いないと思われます。露天で売っているフルーツや生野菜をよく食べ歩きましたが、一緒にそれらを取り込んでしまっていたのは疑う余地がありません。よく病気にならなかったものだと思います。いや、あの時の下痢と高熱の原因はひょっとして・・・
ある日、外から帰ってシャワーを浴びると、泡が黒いのにびっくり!毎日がこんなではなかったにせよ、一日外出すれば、頭髪や皮膚、そして衣服の汚れは相当のものだったに違いありません。けっこう歩いたなあと思った日など、自分の足を見ると、チャッパル(サンダル)を履いたそれはもはやインド人のそれに近いなりをしていました。それでもシャワー(通常、冷水)の後はさっぱりして明日もがんばるぞという気持になりました。夕食前に服を洗えば、寝る前には乾いてしまうので、明日の準備が整った状態で就寝できてしまうのでした。
デリーはちょうど奄美大島と同緯度にあります。デリーに来てから約1ヶ月後に北緯6〜10度に位置するスリランカに渡りました。ここまでくるとやはり南国という感じがしました。インドから空路でポーク海峡を渡る時、両国の国土そのものの色が違うのに気づきました。南インドはすでにステップ気候ではないけれども茶色を呈していましたが、一方のスリランカはバナナや椰子などに代表される熱帯性植物が生い茂り、濃い緑色です。
スリランカは、私が訪れた4月が、一年で一番暑い時期です。太陽の通り道が真上から北側に移る頃で、日中の照りつけはかなりのものです。そのため、学校や農作業は休みにしているところが多いそうです。真夏といっても日本のように日の出の位置が極端に偏ることはなく、太陽はほぼ真東から垂直に昇りはじめます。日中地上を焼きつくした後、西に傾きかけた3時か4時頃、雷が鳴りはじめます。
アダットゥ・ワヒナワ―シンハラ語で今日も雨が降るという意味です。4月の下旬は毎日雨が降っていたので覚えた言葉です。これこそがスコールというものなのだと認識できる、すごい降り方をします。始めバラバラと降り出したかと思うと、たたみかけるように水か落ちてきます。土砂降り、よりもっと激しいかもしれません。けたたましい音をたてて屋根にぶつかった雨は、一気に流れると、軒にある雨どいに入らずに直接地面に落ちてしまいます。建物の周りの木や草の葉も大きく揺さぶられ続けてています。遠景はすでに本来の色を失って無彩色に見えます。この強い降りが30分ぐらい続いたあと、さらに少なくとも30分ぐらい小降りが続いて雨はあがります。
このような強い雨は、スリランカの各所に点在するタンク(貯水池・大きな沼)の水を溢れさせてしまいます。私がしばらく滞在したスリランカ中央部ケキラワ町にある2つのタンクは1回の降雨で氾濫し、それらの間を通っている国道を水没させてしまいました。それでも地元の人々に慌てた様子は全くありませんでした。一晩待てばちゃんと水はひいてくれるからです。
以上、必ずしもいいところばかりではない太陽と雨のしわざですけれども、この日光と水によって大地はうるおっています。植物は成長を続け、動物は飢えることはありません。デリーからカトマンズ、カルカッタを経てスリランカに来て実感するのは自然の違いでした。地形的な違いより気候的な違いが顕著で、強く印象に残りました。いずれの地域も一様に暑いのですが、雨の有無で環境が全く変わってしまいます。しかしながら、人々はそれぞれの自然にうまく対応してたくましく生きていました。
私にそれ自身の存在と重要性を再認識させてくれた大自然と、それに負けまいとしながらも謙虚に生きる、人間を含めた多くの生物に触れることができた旅でした。