「ジェット機の窓から」


 インドおよびその周辺国に行く時、多くの人は航空路を選びます。ジェット機による移動は墜落やハイジャックなどの多少の不安を伴いますが、その速さと快適さは抜群です。
 私は今回の旅で初めてジェット機に乗りました。成田を発つ時は少し恐さを感じました。窓の真下に見える主翼は小さく見え、横に10列のシートが並ぶ同体はあまりにも大きく見えたうえに、乗客と荷物、エンジンと燃料を含む機体そのものの重さを考えると、飛ぶこと自体無理なこととさえ思えたからです。
 離陸の時が近づき、滑走するジェット機のスピードが増してくると、主翼に変化が起こりました。主翼の後ろ半分がさらに後方へとスライドし、主翼の真ん中に穴が開いたようになりました。そしてそのスライドした部分との間にあるフタのような板が風でパカパカ動いています。私はこのパカパカが不安でずっと見つめていました。
 私の心配をよそにジェット機は無事離陸しました。少しの恐怖感をのぞけば、助走の時の加速感などむしろ快感であり、なかなか楽しめました。そのあと、私をもっと楽しませてくれるものがありました。それは、離陸後にジェット機が方向を修正のために旋回する時に窓の外に展開する大地のアクロバットショーでした。
 さっきまで私の目の位置とほぼ同じ高さにあった大地が瞬く間にはるか下方へと遠ざかり、そのあとすぐに右へ左へと大きく傾きはじめます。実際アクロバットをしているのはこちらですが、相対的に傾いているのは地球の方です。空中においても、重力は受けていますが、わずかばかり離れて地上を見てみると、もう上下左右の感覚を失って、私は私と地球の関係が一飛行物体と一天体となったことをしばらくの間楽しむことができました。初めてジェット機に乗ってすっかりこの感覚が気に入ってしまい、以後離陸のたびに窓の外を見つめてワクワクしていました。
 昼間のフライトもさることながら、夜間飛行はまた格別です。印象に残っているのはトランジットで降りたタイのバンコクの夜景です。空港周辺のライトがとても美しかったのです。私の目には、まるで宝石箱をひっくり返したように映りました。滑走路と思われるところは小さくて青い、サファイヤのようなライトが行儀よく並んでおり、空港とバンコク市内を結ぶハイウェイは強いオレンジ色を放ってあたかも灼けた鉄鋼のようでした。離陸の時はそれらが街のネオンと共に右へ左へと回転しました。私はその時、まさにジェット機は単なる交通手段としての乗り物ではないと感じました。

 夜間飛行では、星空もまた魅力です。そのことを体感したのはいよいよ帰国という最後のフライトでした。インド最後の日、私はブルーからオレンジ、そして赤へと変わる夕焼けの壮大なグラデーションに送られてデリーを発ちました。ジェット機は太陽と逆の方向に進むので、真っ暗になるまで、それほど時間はかかりませんでした。別れを惜しむように地上に点在する灯を見ていましたが、やがて雲の中に入ってしまったので、スクリーンを閉めて夕食にしました。ゆっくり夕食を済ませて再び窓の外を見ると、外は雲1つない大宇宙だったのです!一番右のシートに座った私の真正面には南十字星が輝いていました。南十字星は、スリランカで初めて見ましたが、すぐにそれとわかるほど印象的な星です。
 もうしばらくは見ることができないなあ、と名残惜しく見つめていましたが、今度は、その上方にあるはずの蠍座を見たくなってきました。額を窓に強く押し付けましたが、窓は小さく、構造上の厚みもあるので、蠍の尻尾さえも見ることはできませんでした。ところが!次の瞬間奇跡は起こりました。いや、私の願いがパイロットに届いたようでした。漆黒の闇に輝く一面の星が一斉に南に動きだしたのです。こういう光景はプラネタリウムで体験したことがあります。しかし、それよりも壮大で美しく感じました。あっという間の出来事でした。ジェット機が方向修正のため左に旋回したためだったのでしょうが、この数秒間の天体ショーであまり感じてもいなかった眠気は完全になくなりました。
 バンコクで最後の夜景を楽しみ時計をなおすと、もう日本時間では夜明け前でした。しだいに東の空が明るくなってきて、眼下の雲海を水平に照らし出しました。東の空は、昨晩インドを発つ時の西の空と同じですがいくぶんシャープな感じのするブルーとオレンジのグラデーションが立ち上りました。数時間前、後ろ姿を見送りながらお互い逆方向に進んで再会したというわけです。地球は丸くて、こんなにも美しいものでした。

 この旅で最も印象に残ったフライトはデリーからカトマンズへのフライトでした。ラッキーなことに前の日に予約が取れ、翌朝飛び乗るようにして搭乗したのはジャンボでない小さなジェットでした。加速がよく、滑走路を長いこと走らずに離陸してしまいました。全く揺れない機体の中で軽い朝食をとった後、私は日記をかくことに専念しました。このフライトは時間が短いうえに私の座席がほぼ中央だったので、今回ばかりは外の景色を無視していました。
 日記に熱中していると、隣のネパール人老夫婦のだんなさんの方が突然私をつつきました。彼に、
「そんなの書いてないで窓の外を見て見なさい。」と言われて、ふっと外を見ました。私は全く忘れていました。ここに存在する山々を。朝日を浴びて白く輝いたその姿に対して、驚きと感動のあまり照れもせず英語で、
「God Lives!」と言ってしまいました。すると今度は彼らが席を替わってくださると言うのです。親切な方々でした。さっそく言葉に甘えることにしました。
 窓際に座った私は、額を窓に押し当ててその素晴らしい景色と雄大な空間に酔いしれました。その上窓際に座れたおかげで、また新たな発見ができました。素晴らしい景色は神々が棲む山々だけではなかったのです。
 私の眼下にある緩やかな傾斜をもつ大地にはそれぞれがガンジス川の支流であると思われる幾本もの大河が流れていました。私はその光景にも圧倒されてしまいました。どの川も北の山岳地帯から南の私が飛んでいる方へと流れています。そしてそれらがいずれも真直ぐに流れてはいないのでした。右に曲がり左に曲がり、太くなり細くなりして大地の形状に忠実に流れていたのです。いずれの川も、近くで見ればそうとう大きな川であろうことは容易に予測できました。その大河が、私に実に謙虚な姿を見せてくれました。その姿に深く感動しました。私もこの自然界の一部である以上は自然に感謝し、謙虚に生きていきたいと思いました。
 日記を書くのは当然中断しましたので、この日の夜、カトマンズの宿でこの感動を日記に書き綴りました。