写真展「1988」


1988年に旅した南アジアの写真です



ニューデリー→カトマンズのフライトの機内から見た朝日に映えるヒマラヤです。
神が棲むという山々からは幾百もの大河が大地の起伏に忠実に滔々と流れていました。
これを見ただけで、高いチケットを買った、いや、この旅をしたかいがあったと思いました。

→手記「ジェット機の窓から」を読む



【ネパール】

写  真地  図タ イ ト ル と コ メ ン ト
【ダンサー】
 かつて会津の東山温泉で踊っていた世界民族舞踊コンクールグランプリ受賞者のクリシュナ・バハドール・ラマさんの生の踊りを見ることができました。悪魔を追い払って病気を治す呪術師の踊り、「ジャンクリ・ダンス」はとてもすばらしかったです。
【肉屋】
 私にとって初めての外国となったインドは、精神的にだけでなく肉体的にも私を打ちのめしました。インドに入国してからカトマンズに来るまでの2週間ずっと下痢が続いていました。一時は体温も39度以上まであがりました。へばっていた私を救ったのはホテルで食べた牛丼でした。ごはんの上に大きな肉塊がゴロゴロしていました。その牛肉はこんなふうにしてホテルに届くのだろうと思いました。
【ドーナツ屋1】
 牛丼とともに、私の気に入ったメニューは街角にあるネパールのミスド。このドーナツを食べるためだけにもう一度ネパールに行きたいくらい美味しいです。
【ドーナツ屋2】
 1個1ルピーだったから、当時の日本円でも3円くらいでした。当然リピーターになり、食べまくりました。顔も覚えてもらいました。気軽に写真も撮らせてもらいました。でもちょっとそのボウル(というか、タライ!?)が気になって、
【ドーナツ屋3】
 厨房を見せてもらったら、厨房というよりは、キャンプの道具を並べただけのようでした。この設備であの味が出せるのですから、すごいとしか言いようがありません。
【国境】
 国境を歩いて越えました。カトマンズから8時間半のバスを降りると国境の町ビルガンジです。さらに数十メートル歩けばインド側のラクソウルに入ります。大きなアーチが国境かと思っていたら、その先の小川が国境でした。(右下に三脚を振り返る私)


【スリランカ】

写  真地  図タ イ ト ル と コ メ ン ト
【乗り合いバス】
スリランカだけでなく、他の2国もほぼ同じような状況です。ミラーやドアがないのは当たり前。窓ガラスが割れている程度では、修理の対象にはならないようです。座席がフレームだけだったり、タイヤからワイヤーが出ていたりします。バスターミナルでは、動き出すまでどの人が運転手かもわかりません。
→手記「陸上交通」を読む
【チャーターバス】
お寺参りにつれていってもらいました。移動に使ったのは11人乗りの日本製のワゴン車。なんと40人が乗っていました。窮屈なのは当たり前ですが、みんな文句をいうどころか、手拍子で歌ったりして楽しく過ごしています。そんな彼らをえらいと思いましたが、人数を数えた自分もえらいと思いました。(写真の中の人の間の低いところにも人がいます。)
【壁】
スリランカの農家の壁は土でできています。白い壁はランプの灯を反射して虫を集め、そこへヤモリが来てそれらを食べます。この家では家を建て直す予定があり、予算は35万円でした。
→手記「太陽と雨」を読む
【炊事】
スリランカの女性もよく働きます。農家では、あたかも終日食事の準備のようでした。精米からすべて手作業です。重い杵で玄米をついた後、てみを使って巧みに米ぬかを選り分けます。ようやく食事になり、終わればまた次の食事の準備に取りかかっていました。
【銃】
発車時刻を待たずに出発したバスに乗せられていった私の荷物は私の知らないところで警察に届けられ、テロリストの爆弾かどうかの試射を受けました。40日間書きためた絵日記やカメラも打ち抜かれ、警察に抗議したものの後の祭りでした。"記念"に弾の貫通した三脚を持ち帰りました。


【インド】

写  真地  図タ イ ト ル と コ メ ン ト
【渾沌】
 インドを一言で表すと、それは「渾沌」であると誰かが言っていました。実際、一枚のお札にさえ、14もの言葉が使われています。インド語というものはありません。ロシアを除くヨーロッパとほぼ同じ国土面積を持つといわれるインドは、気候、人種、宗教などあらゆることがらに多種多様な面を持っています。(写真は当時の最高額紙幣500ルピー札)
【物乞い】
 スリランカで貴重品を盗まれて落胆していました。大使館への途上、路傍に、1人の物乞いを見ました。施しをくれとのばした両手には手首がなく、足下には膝から下がありませんでした。私はまだ失うものがたくさんあると思いました。(写真はニューデリーのものです)
【路上絵師】
 カルカッタのホテルで、近くに路上絵師が現れたという情報を得て現場に急行しました。やっと巡り合えました。絵のできばえももちろんすばらしいですが、チョークを這わせるその手の動くの流麗なことに感動しました。さっそく絵にコインを投げ入れて讃えました。
【ハウラー橋1】
 ガンジス河の河口近くにかかるこの橋はとてつもなく巨大です。西側のハウラーと東側のカルカッタを結びます。交通量が多く、車が轟音と共に往来しています。長さの割に徒歩で通る人が多いのは、世界でも類を見ないのではないでしょうか。
【ハウラー橋2】
 上流の火葬場からの燃え尽きなかった死体さえ流れるというのに、今朝もガートで沐浴です。でもヒンズー教徒にとってこんなに幸せなことはないそうです。ガンジスは「神」そのものだからです。
【ハウラー橋3】
 物売りの横に座って橋上の物凄い往来を見ながら半日を過ごしてみました。カメラを所持しているのを警官に見つかり、すごいけんまくで文句をいわれました。あっという間に物凄い人だかりになりました。インドでは、橋や駅、空港などの公共施設の撮影は御法度です。
【コーヒー】
 北インドのチャイに対して南インドではコーヒーを飲みます。ほとんどがインスタントのようです。高いところから注いで泡を立てて飲みます。カメラを構えると、ますます高くやってみせてくれました。
【インド共産党】
 当時の南インドでは、インド共産党の勢力がたいへん強いようでした。町中がソ連の旗で真っ赤でした。時々大規模なデモ行進があり、それはあたかも大河の濁流のようです。横切ろうとすると警官にひどい暴行を受けます。カメラを構えたりしたらどうなったことでしょう。
【路上の人生】
 夜行列車で夜が明ける前に着いてしまいました。町に出ると、歩道に男が仰向けに寝ていました。様子が変です。ちょっと声をかけてみましたが応答がありません。死んでいたのでしょうか?生きていたとしても、あのような場所で寝ている生活とは、どういうものなのでしょうか。


【写真展1988】

写  真タ イ ト ル と コ メ ン ト
【ポスター】
 「写真展1988」は、1998年11月、栃木県在住のフリーカメラマン伊藤芳保氏の呼びかけに応えて、3日間開催しました。2人にとって転機となった1988年からちょうど10年経つのを区切りとして時期を選びました。また、お互いの家をつなぐ会津中街道の起点ともいえる会津若松市大町四つ角にある「ZOO」の2F「自由空間」を会場に選びました。その時作ったポスターです。
キャッチコピーは、「ちょうど10年前の1988年、2人の男たちが見た、過ぎ行きて過ぎ行かざるもの-」
 →写真展のコメントを読む
【私の家族】
 1988に旅した時は「これから先、家族というものとは無縁の人生になるかもしれない、生きて還れないかもしれないのだから。」ぐらいに思っていました。10年後、家族と友人の協力を得て、写真展を催すなどとは夢にも思いませんでした。この旅で、私の人生が大きく変わったことは間違いありません。ネパールやインドにかぶれているように見えますが、実際はそれほどでもありません。(今は)
【伊藤氏】
 伊藤芳保(いとうよしやす)1963年生まれ。 西那須野町で植木生産業を営むかたわら、モノクロの「記録写真」を撮り続けています。その一部はプロミュージシャンのCDジャケットや映画の記録写真の中に見ることができます。常に「会津」に想いを馳せている根っからの会津好き。彼の写真をご覧になりたいかたは、お手数でも彼に直接お願いしてください。



メール


会津の電脳老舗『会津屋』はこちらです